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岩手県の「遠野駅」に関する観光スポット32件を紹介!
早池峰山は、平安時代から中・近世にかけて隆盛を誇った修験場。国道340号沿いにある登山口には、鳥居が朽ちかけながらも残り、当時をしのばせている。
石垣の上に城のような迫力で建つ、170年ほど前の南部曲り家。映画のロケに使われた内部を一部公開し、昔の農具なども展示している。国指定重要文化財。
『遠野物語』にも登場するコンセイサマ。祀られているコンセイサマは五穀豊穣や子授けの神として信仰されている。ユーモラスな御神体は高さ1.5m。
江戸時代に遠野を襲った大飢饉の犠牲者を供養するため、大小500の自然石(花崗岩)に彫られた五百羅漢。風雪に晒され原型は損なわれているものも多いが、当時の悲痛な思いを感じさせられる。
『遠野物語』の語り部佐々木喜善の生家裏にある小高い丘。昔、60歳を超えた老人はここに遺棄され、その後集団で回向されたといわれている。デンデラは「蓮台」のことだ。
懐かしい遠野の農村を再現した広い敷地内には、田んぼやそば畑、水車小屋、南部曲り家がある。曲り家では「まぶりっと衆」が、民芸品作りや炭焼きをしている。体験には予約が必要。
伝統工芸品の附馬牛人形を製作、販売する。附馬牛人形は土と和紙を練り合わせ、型に入れて自然乾燥させたものに着色して仕上げる。また、江戸期の人形なども多数展示している。
遠野物語の話者「佐々木喜善記念館」や、重要文化財指定の菊池家曲り家、オシラ堂などがあり、自然と共に生きたかつての暮らしぶりを再現。食事処もあり、郷土料理を堪能できる。
白幡神社の境内に立つこの簡素な石仏は女性の地蔵で、夜になると台座からこっそり抜け出し若者と遊びまわる癖があったといわれている。
遠野市立博物館裏の小高い山は、かつて鍋倉城が築かれていた場所。眼下には街並みが広がり、ちょっとした展望台になっていて眺めがよい。遠野の城下が一望できる。
山麓の田園地帯にポツンと立つ茅葺きに芝草屋根の水車小屋は、日本のふるさとの原風景。水車の近くには「遠野物語」の語り部佐々木喜善の生家もある。
遠野駅から西北へ10km、石神山の麓に広がる高清水高原。展望台からは遠野盆地が見渡せ、山々に囲まれた遠野の原風景を一望することができる。
自然石の上に、巨石が乗る不思議な石。武蔵坊弁慶が台石の上に置いたという説、原始巨石文化ドルメンの遺跡説など諸説あるが、真相は不明。
常堅寺の境内にある頭の上に皿を載せたユニークな狛犬。火災の際に、この寺に避難してきたカッパがお礼のために狛犬になったという伝説に基づいている。
『遠野物語』の中で記されているカッパの出る川。川辺にはお乳の神様を祀った小さな祠があり、周辺はちょっとした散策路になっている。
民俗学の古典『遠野物語』を著した柳田國男の偉業をたたえ、学問の発展継承を図るための展示や研究を行う。マルチスクリーンでは「水木しげるの遠野物語」のオリジナルアニメーションを上映。
柳田國男と佐々木喜善の出会いによって著された『遠野物語』。この傑作の生まれた背景と、遠野に古くから伝わる昔話や民俗伝承を紹介。敷地内には食事処「伊藤家」、物産館「赤羽根蔵」もあり。
小さな祠の前にある木に、境内で販売している赤い布を左手で結ぶことができれば縁が結ばれるという伝説がある社。『遠野物語』にも登場する古くから信仰と民話が息づく神社だ。
民俗学者柳田國男の著した「遠野物語」で知られる民話の里。カッパ淵など物語ゆかりの場所も多く見られる。住居と厩が一体となった曲り家など懐かしさを感じさせる風景もある。
食事処「伊藤家」の奥にある、古民家の風情を生かしたみやげ店。遠野の銘菓や名物のどぶろく、民芸品や工芸品がずらりと並ぶ。
遠野駅近くの蔵を活用したギャラリー。いろいろなコレクションの展示やワークショップが開催される「市民ギャラリー」「創作活動室」などがある。
遠野駅から市立博物館へ抜ける通りが別名「民話の道」。民話に登場する主人公などの彫刻や陶板レリーフが設置され、訪れた人の目を楽しませる。
遠野観光情報の発信基地。レンタサイクルがあるほか、カッパ伝説が残る遠野ならではの「カッパ捕獲許可証」も発行している。許可証は旅の思い出におすすめのお土産だ。
遠野市内で出土した土器や石器などの考古資料、遠野中心部の昔の写真等を展示。休憩所としても開放しており気軽に立ち寄れる。
遠野郷に伝承される農村文化や風習を体験学習できる施設。静けさが漂うオシラ堂、国の文化財の菊池家曲がり家など見どころ十分。オシラ堂は人の娘と馬の悲恋が生んだ神像・オシラサマを祀る。
遠野地方の民話・伝承を、柳田國男に語り聞かせた文学者・佐々木喜善(鏡石)の生家。明治42(1909)年に、柳田がここを訪ねたとき佐々木は東京にいたため、遠野で会うことはできなかった。
昔から大工、畳刺し、木挽きなどの職人が暮らしていたことから大工町と呼ばれている通り。木製の電話ボックスや、歩道灯など、懐かしさと木の温もりがいっぱいの町並みが続く。
江戸時代に遠野南部氏の城下町であった遠野市は、沿岸と内陸を結ぶ交易の拠点であった。当時の武家・商人などの生活、たくさんの物資や人々が行き交った遠野の様子を紹介する。
東北地方の旧盆の最後の夜に開催される「遠野納涼花火まつり」は、早瀬川の河川敷にあるグラウンドを会場に、約5000発の花火が花開く。花火は華々しく夜空を彩り、その音は遠野盆地に響きわたる。空と水面で七色に輝く光と、山々にこだまする音がつくりだす臨場感は迫力満点だ。普段は静かなこの町も、お盆には帰省した人たちでにぎわう。鮮やかに大輪の花を咲かせる花火を心ゆくまで楽しもう。
遠野市街地南部、鍋倉山の鍋倉城跡が整備されてできた市立公園。展望台からは遠野盆地を見渡すことができる。春には園内に約1000本ものソメイヨシノやヤマザクラが咲き誇り、桜見物を楽しむ人々でにぎわう。また、「遠野さくらまつり」では殿様が八戸から遠野へ入部した様子を再現した「南部氏遠野入部行列」も行われる。
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