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京都府の「河原町駅」に関する観光スポット19件を紹介!
京都府の「河原町駅」19件中 1~19件表示
明治2(1869)年に創設された、元開智小学校の校舎を改装した学校資料の博物館。近代学校教育の発祥地、京都の学校に伝わる貴重な歴史資料や美術工芸品などを展示紹介している。
掛町の辻堂にある石造阿弥陀坐像。油をかけて祈願すると諸願成就するといわれ、地元の人々に親しまれている。
京都を代表する情緒豊かな通り、先斗町は夕刻ともなると、舞妓がお座敷へ向かう姿が見られる。木屋町は幕末に勤皇の志士らが投宿した家などもあり、暗殺事件の舞台となったところ。
安倍晴明像が安置されている浄土宗西山深草派の寺院。誓願寺の塔頭の一つで、本堂の本尊阿弥陀如来像はもと東山松原にあった清円寺の遺仏といわれる。拝観は予約制。
昭和10(1935)年、大石内蔵助の義挙を顕彰するため、その隠棲地に創建された社。宝物殿に内蔵助の書など、ゆかりの品を展示している。12月14日には義士祭が行われる。
赤穂藩の城代家老、大石内蔵助が松の廊下の事件後、隠棲した寺。本尊の不動明王は内蔵助の念持仏。境内には四十七士の像を祀り、遺髪塚などがある。
清水寺境内の奥から山道を上ったところにある平安時代創建の古刹。平清盛に高倉天皇との仲を裂かれた小督局が出家した寺として知られる。境内には小さなお堂が建つ。
山科清水焼団地にある清水焼の窯元。湯呑み、花びんなどの素焼の器に、下絵をつける体験を行っている。体験作業時間は40分程度かかる。他、手びねりの体験もできる。(要予約90分)。
長保年間(999〜1004年)に歓喜寺の鎮守として創建され、菅原道真を祀る。錦市場の東端にあり、知恵の神、商売繁盛の神として信仰されている。境内には、名水が湧いている。
病気平癒などに霊験のある蛸薬師如来を祀る。病気の母親のため、禁をやぶって蛸を買った僧が祈ると、蛸が法華経に変わり母親が快復したとの伝説あり。
河原町通と新京極に挟まれた、細長い南北の通り。道を挟んで寺院が並び、その間に庶民的な飲食店が点在する。
昭和初期に建てられたノスタルジックなビル。エントランスのひさしの上のアーチ型の装飾や、縦の線を強調した窓の配列が素敵。
同時代ギャラリーは、歴史的なたたずまいを残す1928ビル(旧毎日新聞社ビル)にあり、ギャラリーとしても独特の雰囲気がある。
文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)が、この地蔵に祈願して清和天皇を産んだといわれる。現在では安産のご利益で名高く、女性の参拝者が絶えない。
観光地へのアクセスや交通情報など、京都の観光情報を求めて多くの人が訪れる民間の案内所。京都市交通局の乗車券やガイドブックも販売。
幕末の慶応3(1867)年、坂本龍馬・中岡慎太郎が刺客に襲われた醤油屋近江屋の跡。「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地」の石碑が立つ。
江戸時代初期から明治4(1871)年まで、土佐藩邸があったところ。坂本龍馬が脱藩罪を赦された時、ここで数日間の謹慎処分を受けた。高瀬川沿いに碑が立つ。
陸援隊隊長で、龍馬以上に薩摩・長州の和解に尽力した中岡慎太郎は、龍馬がいた近江屋とは河原町通りを挟んで向かい、土佐藩御用達の書林・菊屋の鹿野安兵衛宅に隠れていました。現在はお店の前にひっそりと石碑が立っています。
慶応3年11月15日夜、龍馬が使い走りの峰吉に大好物の軍鶏を買いに行かせたのがこの辺り。「鳥新」は高瀬川に架かる四条小橋の角にありました。待たされた峰吉が戻ってみると既に惨劇の後でした。明治後、「鳥新」は縄手四条上ルに移転し、現在に至ります。
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