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神奈川県の「鎌倉駅」に関する観光スポット117件を紹介!
北条氏に滅ぼされた比企一族の供養の寺として、日蓮聖人により創建された寺院。比企一族の墓は鎌倉時代の権力闘争の凄まじさを静かに物語る。
杉木立の中に建つ唐風の鐘楼門が、鎌倉五山第四位の気品と山寺のような深閑とした風情を感じさせる。総門の手前には鎌倉十井のひとつ、「甘露の井」がある。
鎌倉の社寺に伝わる国宝や文化財など約4800点を収蔵。鎌倉〜室町期の彫刻や仏画、鎌倉彫の名品や宋から伝わる青磁器など、貴重な品々を数多く観覧することができる。
鎌倉時代末期に足利家時によって創建されたといわれる、清楚なたたずまいの禅寺。本堂裏手には孟宗竹の竹林が広がり、「竹の寺」として訪れる人々を魅了する。
文治4(1188)年創建の禅刹。かつては七堂伽藍と23の塔頭を備えた鎌倉五山第五位の大寺院だったが、現在は優美な銅葺き屋根の本堂が往時をしのばせる。
奈良時代に名僧行基が開いたと伝わる鎌倉最古の古刹。茅葺き屋根の観音堂と苔むした石段が長い歴史を物語る。石段脇と境内の白い幟と、無数の五輪塔が独特の雰囲気。
十王がまつられている寺。十王とは死後、冥界で出会う10人の王で、言わば生前の行いを裁く裁判官。十王堂(閻魔堂)には木像閻魔王坐像を中心に12体の像が並んでいる。
もとは妙本寺の末寺であった。隣にある常盤の鎮守八雲神社はかつて円久寺に属し、天王社と呼ばれていた。
由比ヶ浜大通りと今小路が交わる角にある、刑場跡を供養する6体の地蔵尊。かたわらには松尾芭蕉の「夏草やつはものどもが夢のあと」の碑が立っている。
受験シーズンは合格祈願の絵馬で社殿の壁がいっぱいになる天神。境内には154人の有名漫画家のカッパの絵をレリーフした、ユニークな絵筆塚が立つ。
JR北鎌倉駅を降りると、目の前はもう円覚寺の境内。山門や洪鐘など見所が多く、かつて夏目漱石や島崎藤村も参禅した。臨済宗円覚寺派の大本山。
嘉禎元(1235)年、鎌倉幕府四代将軍・藤原頼経により建立。鎌倉幕府の将軍の発願によって建立され、鎌倉市内に現存し、五大明王を祀っている唯一の寺院。毎月28日の護摩法要は誰でも参加可能。
かつて縁切り寺、駆込み寺として知られた禅刹。境内には2月の梅、初夏のハナショウブなど四季の花々が美しく咲き、かつての尼寺の雰囲気を伝えている。墓所には文人の墓と碑が多い。
数千株のヒメアジサイをはじめ、ロウバイやハナショウブなど四季の花々が境内を彩る明月院。境内には北条時頼の墓所や鎌倉最大のやぐら(洞窟墳墓)がある。
明月院に向かう道の途中に建つ、画家で詩人、絵本作家である葉祥明氏の個人美術館。パステルトーンの色調でほのぼのとした氏の作品は、見る人を優しい世界に誘う。
四季の花が美しい日蓮上人ゆかりの寺院。境内に残る岩屋“御法窟”で日蓮上人が「立正安国論」を執筆したと伝わるほか、ゆかりの場所や品が数多く残る。
源頼朝が建てたと伝わる夷堂の旧跡に、永享8(1436)年に日出上人が創建した寺院。日蓮の遺骨を身延山から分骨したことから、東身延とも呼ばれる。
材木座海岸を目前にした浄土宗の大本山。寛元元(1243)年の創建で、鎌倉一の山門は弘化4(1847)年に建築されたものだ。精進料理でも知られる。
北条時頼が建長5(1253)年に創建したわが国最初の禅道場で、臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山第一位の格式を誇る。境内最奥の半僧坊は瑞泉寺方面への天園ハイキングコースの入口。
鎌倉駅から藤沢駅までを結ぶ名物電車。民家の軒先をすり抜けるように走り、道路を車と並走する路面区間もある。稲村ヶ崎駅から鎌倉高校前駅までの海沿いの眺めは抜群で人気が高い。
禅宗とともに宋から渡来した彫漆に影響を受けて誕生した鎌倉彫。その伝統の技を、名品・資料約60点に見ることができる。鎌倉彫の制作工程のビデオ上映、2時間彫刻体験教室(要予約)もある。
扇ガ谷と佐助、梶原の間にある切通で、藤沢方面、さらに北関東地方からの出入り口である。鎌倉七口のひとつとして昔の姿をよく残している。雨の日は滑りやすいので注意。
古民家を移築した建物を利用。四季おりおりの多彩な企画展が開催される。「雛人形展」「あじさい展」等。
後醍醐天皇の皇子・護良親王を祀る神社。明治天皇が創建した。境内奥には、足利尊氏に捕らえられた親王が幽閉されていた土牢が残る。境内で催される秋の薪能が有名だ。
源頼朝公が創建して以来、昔も今も鎌倉の象徴として親しまれている。境内には国の重要文化財である本宮など、歴史を今に伝える建造物が点在している。歴史的な行事も多い。
鎌倉を代表する「花の寺」。嘉暦2(1327)年に夢窓国師(夢窓疎石)を開山にして創建された。本堂奥手の夢窓国師作の庭園は国の名勝指定。境内には文学碑も多い。
明治から昭和にかけて活躍した近代日本画の巨匠、鏑木清方氏の邸宅跡に開館した美術館。年間8回程度、テーマに添って企画した展示を催すほか、ビデオ上映で氏の生涯を概観できる。
扇ガ谷と山ノ内を結ぶ切通。亀がひっくり返るほど険しかったという伝説もあり、切り立つ崖が昔の面影をとどめている。北鎌倉から銭洗弁財天への近道として便利。
鎌倉七口のひとつで雪ノ下と山ノ内を結ぶ。かつては鎌倉への物資輸送の要であった。現在は、雪ノ下側からしか行けず、通り抜けは不可である。
東京湾方面から鎌倉に入るための切通で、鎌倉七口のひとつとしての旧状をとどめる。物資の交易のほか軍事的な要路としても重要な役割を果たした。
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